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Profile



02_1.jpg1985年結成。〈場の演劇〉を標榜し、駅や路上、河原、公園などで数々の野外劇を展開します。さらに観客席を固定せず、一つの公演で(観客とともに)上演場所を次々と変えていくことで、劇空間の新たな生成と変容を企図した『遊行の景色—The Drifting View』を発表。利賀フェスティバル(‘89、’95)、檜枝岐パフォーマンスフェスティバル(‘85─’87)、アトランタフェスティバル(’93)等、国内外各地を巡演します。'88年に川崎市犬蔵にアトリエ「犬蔵舎」を開設。



hongo_dok.jpg1993年、東京文京区本郷に移転し、アトリエ「本郷DOK(ドック)」を開設。
ここを拠点に「身体の演劇」を探求しながら、「人間身体」と、それをめがける権力/暴力への批判に取り組みます。
この間の作業から生まれた『Tokyo Ghetto—東京ゲットー』『Bye-Bye─バイバイ』 に代表される1990年代からゼロ年代初頭の「戦争身体」を主題とした舞台作品は、東京国際舞台芸術フェスティバル ('95、'96)やユーロカズ (ザグレブ、クロアチア '96、'97)、カンプナーゲル・ラオコオンフェスティバル (ハンブルグ、ドイツ 2001) 等、国内のみならず海外の著名な先駆的舞台芸術祭からも招聘され〈劇団解体社は世界の前衛演劇において最も影響力のある実験的な演劇グループの一つである〉との評価を得ています。'98年、御茶ノ水(湯島)に移転。アトリエ「フリースペース・カンバス」を開設。



bar.jpg2004年から、演出の清水信臣と劇団有志は、9.11以後のグローバリゼーションにおける「生政治的身体表象」を考察するために『Dream Regime—夢の体制プロジェクト』と名付けた国際共同製作を開始します。そこでは現地に長期間滞在しながら、諸外国のパフォーマーやアーティスト、研究者たちと、劇場が「思考の実験場」となるような上演をめざして共同作業を行っています。さらにこの共同作業は、20世紀をとおして、移動的で多層的な多文化圏の隠された歴史を探究するために、ウェールズ、ヨルダン、ブラジル、東ティモール、イギリス,アメリカ,ドイツ、オーストラリア、デンマーク、ポーランドそして日本で、パフォーマンスやレジデンスのシリーズが現在まで展開されていきます。



totai.jpg2011年解体社は、かつてアレクサンドル・コジェーヴが叙述した〈歴史を忘却し動物化していく人間〉の今日的状況に応答するために、『Posthuman Theatre—ポストヒューマン・シアター』と名付けた国際共同作品を企画します。相方は「タデウシュ・カントール以後」のポーランド前衛と目される劇団「テアトル・シネマ」とのコラボレーションで、その一作目は東京・森下スタジオ、伊丹アイホール(ワークショップ、シンポジウム)、二作目の翌12年にはポーランドとドイツで上演ツアーを行います。「身振りの喪失」とそこからの恢復をテーマにしたこのプロジェクトは、「3.11以後の現代演劇」との距離を指し示す実験的舞台として各方面から注目されています。

stujio180x130.jpg2012年、東京・市ヶ谷に民家を改装した稽古場「左内坂スタジオ」を開設。
以後、ここを拠点に、禁忌とされ放擲された言葉と「身体」の再生を主題に据えた連作を上演ー『INFANT』('13ー'14)、『フェストゥム』('17)。2015年からは、20世紀世界文学を代表する「戦犯作家」、ルイ=フェルディナン・セリーヌの一連の著作を舞台化したシリーズ『セリーヌの世紀』('15ー'18)を上演します。「総力戦」ー他ならぬ私たちの日常生活を告発し続けるそれらテキストと「身体」が憑在する舞台ー喪われた「証言の演劇」の蘇生に挑んでいます。


sabi180x130.jpg2019年、解体社は、かつて土方巽が語った暗黒舞踏の理念「剥製体」への解読を通して生成される〈憑在の演劇〉を『人体言語プロジェクト』と名付け構想します。それは私たちが長年にわたって取り組んできた独自の身体表現と特異な言語群が邂逅する地平ー「人体言語」を舞台に開こうとする上演です。いま私たちはその試みのただ中にいます。




kumahachi180.png2023年、東京・八王子市上野町に稽古場兼劇場「八王子ドック」を新たに開設。
「森林・環境建築研究所」を主催する建築家-落合俊也氏の設計による、まさしく木造船の船倉のような劇空間を新たな活動拠点として展開していきます。