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「剥製体」の現在

清水信臣


「日本人の体をもっと剥製体にすべきだと。かつて飛んでいたものをさらに飛ばせるために」(1) “76年「アスベスト館」を閉館した土方巽は翌年、そのような言葉を残し、以後、数年にわたり沈黙する。

「剥製体」—— 私はこの言葉に憑かれてきた。それこそが彼の創始した暗黒舞踏の理念の核心のように思えたからだ。

振り返れば、私が、初めて彼の演出した舞台を見ることになるのは、 ”85年「東北歌舞伎計画1」の上演だった。突如、長い沈黙を破り、舞台芸術の世界に舞い戻った巨匠の舞台はしかし、私がその間様々な媒体で折に触れ見知っていた、いかなる華麗な神話的イメージともおよそ無縁なものであった。劇場に入ると、観客席に数人の女性たちがただずっと突っ立っている。それだけだ。「踊り」などない。ときおり場内の蛍光灯が点いたり消えたりするので、入口のほうをみやると電灯のスイッチをバチバチしている人物がいる。土方である。彼はなにごとか発している。「なにを見ている なにも見るな… 世界など勝手に映させておけばよい… 」たしかにそう聞こえたのだ─ 世界を見る、のではない、映させるのだ、と。己の眼球の表面に─ もはやこの「剥製」の眼球は、いかなる事物も意志的に眼差すことはない。それは見返さ(せ)ない、なにものとも決して対峙し(させ)ない。絶対的な受動性——「剥製体」が現出した舞台を見たのは後にも先にも唯一この上演だけだ。

時代は「肉体」から「身体」へとそのテーマを移行させていた。

60年代の闘争とともに誕生し、革命のイメージと同義に語られてきた「肉体」の死。「肉体の反乱」によって、近代のヒエラルキーが転倒されるのだと信じられていた舞台表現の終焉とともに、「身体」は登場する。「身体」——この名の下に、知性と感性、生成的なものと構築的なもの、アポロン的なものとディオニュソス的なもの等々、いわばこれまで対立していたものらが一体化され「和解」していくのだ。「身体」とは、爆発的に進展するテクノロジーと、置き去りにされていく人間との「共存」のために、そのつど再定義され更新される「モード」であり、まさに「延長のイデオロギー」に他ならない。それゆえ土方は「剥製体」を揚棄したのだ。

あの「剥製の舞台」以来、私はこの脱主体化された存在を「人体」と呼んでいたのだが、このごろの稽古場ではこの「人体」からふいに話しかけられる。

「… 今も混雑したホームの只中にいる。そして前に並んだ子どもの背中を見ながら、手を出さないよう抑えている。私は血を流さないし、泣きも喚きも痙攣もしないので、だれも私に気づかない。最近この症状がエボラのように感染したらどうなるだろうかとよく考える… 」(2)

外からは決して見えない、自らの内部で、自己と非自己の境界で不断に生起している「テロの舞台」あるいは、(肉体の反乱ではなく)「肉体への反乱」。非自己(肉体性=動物性)をどこまでも外へと排除/抹消しようとする意思と呼ぶべきか、「東北」とは非自己/他者の謂でもあるのだ。

私はこのような応接の不能に向き合うたびに、実はこうも考えている。いま「人体」とは、かつて土方によって廃棄されたはずの「剥製体」の内臓が、その「内部」が回帰しているのではないか、と。



*このエッセイは韓国光州・土方巽プロジェクト2016に寄稿したものです。


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[註]
(1) 座談会 土方巽 鈴木忠志 扇田昭彦 (司会)」特集舞踏 
欠如としての言語= 身体の仮説 現代詩手帖 思潮社 1977年 125頁

(2) 筒井美和『離人神経症の経過』
(2010年解体社公演『最終生活1』上演テキストより一部抜粋)